グアルティエロ・マルケージとの出会い
変化に対応すること、変化をありがたく受け入れること。カンディダさんと話していて、アルマにマルケージの哲学がひっそりと息づいていることが理解できた。
サービスにおいて一つとして同じテーブルはなく、レストランは基本的には茶室と変わらない一期一会の世界だ。その時の出会いを大切にしながら、変化に沿って流動的にフレキシブルに行動することを、マルケージは言葉にしなくても呼吸するように自然と示すことができる人だった。
この、アルマの学長であるグアルティエロ・マルケージ氏と、僕は個人的な深いつながりがある。彼に初めて会ったのは、2001年ミラノでのソムリエ修業時代だった。給料の殆どを勉強としての食べ歩きに投資していたその頃、彼のレストランに友人と共に赴いた。
リストランテ・マルケージはミラノから車で一時間ほど離れた自然の中にあった。4月、とても、とても美しい季節が始まろうとしている北イタリアの新緑のトンネルを通り抜け、エルブスコの彼のリストランテに到着した。
正直、当日飲んだワインの銘柄もヴィンテージも覚えていない。たぶん、5つの魚料理の前菜と、プリモのリゾットを食したのだが、セコンド以降の詳細は不明だ。食事が終わる頃、憧れのマルケージ氏がテーブルまで挨拶に来てくれた。彼は自分にとって、雲の上の人だった。
自分はマルケージで働くのが夢だと熱弁をふるいたかったけれど、用意してきた言葉も緊張して出てこない。実際に会ったマルケージの印象は一言で言うと、雰囲気のある人。コックコートにスラックス、革靴で、今も昔も変わらないのっしりとした歩き方。
自分の用意した履歴書は、マネージャーに置き残した。2ヶ月後に採用の連絡があって、僕はマルケージという人生の学校に飛び込むことになる。当時の僕には殆ど家財のようなものはなく、スーツケース2個と段ボール箱4個の引越し。出迎えてくれたマルケージに、胸の奥から湧き出る喜びと不安と期待の全てを表現する語学力はその時の自分にはなかった。
それから僕は2年半をかけて、自分の職業的基盤となる心の在り方を学ぶことになる。つきまとう命題は、今の時代プロフェッショナルとしてガストロノミーに携わるにはどのような意識と態度が必要となるか、であった。アルマの学校見学をしながら、あの頃の自分と同じような気持ちを抱いているのかもしれない学生たちの、たくさんの心の熱さが感じられた。