アルト・アディジェ 2016年 初夏
古くからヨーロッパの北と南を結ぶ重要な行路であった、アルプス山脈の南に位置するトレンティーノ=アルト・アディジェ州。ミラノから車で向かうとE45で州都のトレントに近づく頃、Brenneroブレンネロの表示が見えてくる。
これがオーストリア最南のチロル州と、イタリア最北のボルツァーノ自治県の間にある「ブレンナー峠」のイタリア語読みで、この辺りではアルプス越えの道としては一番標高が低い為、神聖ローマ帝国時代にはもう既に主要な道に数えられていた。
1786年、ドイツの文豪ゲーテは保養地として有名なボヘミアのカールスバートをこっそり抜け出し、憧れの地、イタリアへ向かった。この旅の様子をまとめたものがゲーテの「イタリア紀行」で、当時の北に住むドイツ人の感性がどのようにイタリアを受け止めたのかを知ることができる。
ミュンヘン、インスブルックを経て、ブレンナー峠を抜けてボルツァーノに至るのだが、彼が旅した季節は9月。イタリア最北端といえどもゲーテが慣れ親しんだワイマールから見ればまるで南国のエキゾチック感が漂うアルト・アディジェには、さぞかし美味しそうな葡萄がなっていたのだろう、葡萄やイチジクを欲するゲーテの様子に共感が持てる。
南チロル、自然と共生する精神
南チロルの雄大な自然は、生き物のような地球が数千万年をかけてゆっくりと作り出したものだが、その中で営まれる人々の生活や農耕は10年や100年の単位で目まぐるしく変わり、大地の上に細やかな模様を描き出す。
5月、初夏の日差しのアルト・アディジェ。イタリアで最高レベルのリースリングを生産するワイナリー、カステル・ユヴァルを訪れ、ワインの作り手であるマーティンと話していた時に彼がふと、「100年ほど前、このあたり一帯の土地ではシリアル(雑穀)が育っていたんだ。今は葡萄とリンゴだけれどね。」と言った。