ミラノには昔、ポルディ・ペッツォーリという美術品収集家がいた。
彼の私邸と芸術のコレクションは死後ミラノ市に寄付され、現在は美術館になっている。
幅広い視野を持ちつつも基盤にぶれないテイストを持つ個人コレクターの所蔵品というのは、見ていてとても気持ちが良いものだが、グイドの料理にも同じ種類の、軸が一本通っているところを感じる。
それはこのレストランのワインリストにも表れていて、バックヴィンテージにしても、ただ有名で高級な名前を並べるのではなく、個人的な好みが反映され、個性ある魅力的な仕上がりになっている。
三冊のワインリストを丹念に見ていると、サービスの女性がテーブルに来た。
「どこかでお目にかかったことありましたよね? 確か、ラ・スピネッタで?」
自分としては彼女に会った事を覚えていなかったので、口ごもっていると、
むこうから「まあ。ダル・ペスカトーレでソムリエをされていた方ですか?」と話を続けてくれた。
そういえば、もう8年も前、自分がダル・ペスカトーレで働いていた頃、ペスカトーレとグイドのメンバーでラ・スピネッタのワイナリーに招待されたことがあった。
東洋人の外見の自分は、イタリアでは確かに目立つし覚えてもらいやすいかもしれないが、それでも何年も前に一度だけ会った人がレストランに客として座っている場合、どこで見かけたのかを容易に思い出せるものでもない。
この驚異的な記憶力の持ち主の女性が、グイドの次世代として活躍するモニカである。
会った人をしっかり覚えているということは、好奇心と想像力を持ちながら、日々を丁寧に生きている方なのだと思う。
そんなところがサービスにあらわれることにも、好感が持てたし、勉強にもなった。
翌朝、思い切ってホテルから自転車を借りてランゲの丘を走ってみることにした。と言っても、このエリアがどれほど起伏にとんでいるのかは十分理解しているつもりなので電動自転車を選ぶ。頼むと、ホテルの人が快く自転車の微調整をしてくれた。
葡萄畑の中を駆け抜けることに無心になって、空に吸い込まれるように上を目指して登って行く。
ソムリエになるずっと前、ワインを初めて口にした時よりずいぶん昔、そういえば、僕は飛行機のパイロットになりたかった。今でも、空を眺めているのがとても好きだ。
もしかしたら、僕をイタリアに運んできたものは、美食やワインの更に奥にある、この自然と大地と、広い空だったのかもしれない。
高い質を追求する食文化のあるこの地は、やはり、そのクオリティーを産むのもまた土壌であり、自然であることを思い出させてくれる。