イタリア版「出汁」の役割
食事を終え、レストランの扉を開けて外に出れば、サンベルナール峠へ高度を上げる旅が始まるのだが、スイスとの国境にたどり着く前に、一つ寄りたい場所があった。アオスタの特産品の筆頭に挙げられる、Jambon de Bosses ボスの DOP のハムを作る村だ。実はレストランでもお願いして、ほんの一口試食させていただいた。
このハムは、他の有名生産地の生ハムと一味異なる。ハモン・ イベリコのような噛みごたえのあるチャンキーで口に広がるパワフルな味とも違う。クラテッロのようなシルキーでデリケートな熟成度合いと独自のカビの 添える旨味とも違う。なんともストレートで柔らかく、引き締まった塩味と独特のアロマが特徴的なのが、この生ハムだった。
このハムを作る、サン・レミ・ アン・ボスは標高1600メートルにある村で、中世の頃から豚肉の特産地だった。何世紀も経て、塩漬けや保存の方法は試行錯誤により進化を遂げたものの、未だに伝統的な製法を守り、豚の臀部から脚にかけての肉は、ニンニクとセージ、ローズマリー、塩胡椒、山で取れるベリー類だけで漬けられ、アルプスの空気にさらされ、枯れ草の近くで一年間干される。
生産工場兼販売所のこの建物では、生ハムのほか、パンチェッタ、ラルド、プ ロシュット・コット(加熱したハム)、コッパ(首から背にかけての部位のハム) などが販売されている。
日本で「ハーブソルト」という名前の調味料を見かけることがある。メーカーによるが、ローズマリーやタイム、オレガノなど、主張の強い、乾燥にも向いている香り高いハーブと塩を混ぜて、料理の下味に簡単に使えるように改良されたものだ。
ボスのパンチェッタやラルドは、それと同じ感覚で料理に利用できる。僕のお気に入りの食べ方は、例えばスクランブルドエッグ。充分に熱したフライパンにパンチェッタを細かく刻んだものを熱し、 脂身が透明になったくらいで溶き卵をほぐし混ぜる。好みの火加減でフライパ ンからあげるだけ。パンチェッタから滲み出る油のみで、サラダ油もバターも必要ないし、十分に塩気があり、ハーブや胡椒のまろやかに成熟した味わいは 他の調味料を全く必要としない。
このパンチェッタを調味料として使うならば、 ハーブや塩コショウすらいらない。ひと塊り、冷蔵庫にあれば、ミネストロー ネなどのスープ、パスタソース、オムライス、ジャーマンポテトなど、日々の食卓やお弁当に欲しいような品を、格段に洗練された味わいで仕上げることができる。まさに、イタリア版「出汁」の役割を果たしてくれる逸品だ。
歴史と結びつけて守られる伝統の味