最終試験から新しい出発へ
研修を終了した学生たちは、いよいよ最終試験を受けなければならない。長いインタビューで、学生たちはこの期間で何を学んだかを試験官にプレゼンテーションする。
自分の生まれ育った土地ではない、研修先の郷土料理や歴史に関する知識もまとめておかなければならないというのも、地域色の強いイタリアならではだ。
稀に試験官から不合格をもらってしまう学生もいるし、自分の中で準備ができていないと判断して試験を次の学期まで延期する学生もいる。試験官はみな著名レストランに在籍して現役で活躍しているシェフばかりなので、学生たちも最高の自分を見せたいのだろう。
サービスにおけるプロ意識とは何か?
僕は食の学校に入学してソムリエとしての仕事を学んだことはない。でも、自分のイタリアでのキャリアにおいて、マルケージの職場は学校だったと言い切れるくらいたくさんのことを現場が教えてくれた。
「プロ意識とは何か?」という大きな命題。その答えを自分の中から引き出してくれて、僕の人生の礎を構築してくれたのがマルケージだ。
レストランでソムリエとして働いている時、流動的な動きの全てにタイミングとポジショニングいうエレメントが必要となる。
例えば、どのタイミングでどれだけワインを注ぐか、どの場所にグラスを置くか、その全ては偶然のようでありながらも必然性を含んでいる。時間を見計らう事、位置を熟考すること、ホールの中をどのように動き回るかなど、それら全ての動きに意識的に理由をもたなければならない。何故ならば、行動の一つ一つに理由をつけて自分で考えることは責任感につながるからだ。
理由を持ったサービスを心掛け、間違えているかもしれないけれど、自分が考えて行動したという意識を持つことが大切だ。結果的にこれが自分の創造性につながるし、新しい個性を持った、マニュアルではないサービスの形が生まれる。
責任をとりたくないのは自分の考えがなかったから、自分に自信がなかったから。プロ意識とは責任感で、それを生むのは考える力。このことを叩き込まれたのがマルケージでの二年半だった。
コロルノから世界へ巣立つ卒業生たち
La Scuola Internationale di Cucina Italianaイタリア料理国際学校という名前が示す通り、アルマは南極大陸以外の5つのすべての大陸に提携校を持ち、留学の受け入れも行っている。
生徒の大半は北から南まで様々な地方からやってくるイタリア人だが、常に何割かの外国人学生もいる。敷地内に宿泊施設はないが、学生たちはコロルノ市街のシェアハウスを借りて住み、それぞれの生活を送る。
年間、計1200人くらいの学生が出入りするというのだから、この小さなコロルノの街への経済効果も予想される。
アドバンスクラスの調理室から見えるイタリア式庭園は息を飲む美しさだった。ボボリ庭園やパラッツォ・ファラネーゼ庭園など、イタリアにはもちろん規模や手入れの美しさでこれ以上のものはいくらでもある。しかし、調理学校とこの風景というあまりに意外な取り合わせ、調理場という喧騒の中から窓越しに見る、左右対称な均整のとれた美しさは、一層新鮮な輝きをもって目に飛び込んでくる。
この豊かな環境で育まれる才能は、きっと世界中に飛び立って、イタリア料理の更なる飛躍を担うことになるのだろう。白と青の制服があまりにも初々しく、若い血潮や鼓動からみなぎるエネルギーが久しぶりに感じられる場所だった。