今、僕の目の前に広がる丘陵地にはリースリングの木が整然と並ぶ。遠くから見ると、それは縞模様で、みずみずしい緑色で、ぎっしりとした麦畑が風を受けて波立つように揺れる風景とはずいぶん別のものだろうと想像がつく。
アルプスに近い、雄大で厳しい自然環境は常夏の国のように、だまっていても甘い果実が落ちてくるようなものではない。工夫を凝らしながら農業に専念し、改良を繰り返し、自律を持ちながら土地を耕すことは、自分自身の心を耕す事と直結するのかもしれない。
「文化」とか「教養」という意味を持つ英語のカルチャー(culture)という言葉はもともとラテン語の耕す(colere)が語源という話を聞いたことがあるが、イタリア語のcolturaも耕作を意味する。学歴がどうとか失業率がどうだという話ではなく、南チロルの人々からストラクチャーのしっかりした、独特の精神文化を感じるのは、偶然ではないと思う。
イタリア最高峰のリースリング
「南チロル」という土地の表現は、アルト・アディジェと同義で使われる。第一次世界大戦まではオーストリア・ハンガリー帝国の支配下だったこの一帯は、交通標識もイタリア語とドイツ語の二重表記だし、お店でもワイナリーでもホテルでもバイリンガルが多く、イタリア的な大らかさを保ちながらもドイツ語圏特有のパリッとした清潔さ、勤勉さ、サービス精神を持ち合わせているのが特長だ。
この地方のワイナリーを訪問しても気がつく事だが、生産者には自然にしっかりと根差した精神、強靭な肉体に明晰な頭脳を宿している人が多い。彼らは誠心誠意を込めて農業に従事するだけではなく、ビジネスセンスが良く、観光のアスペクトを取り入れるのも上手で、伝統と革新とか内と外とかのバランスを取ることに長けている。
カステル・ユヴァルのマーティンもその一人で、質問をすればテキパキと答えてくれるし、資料はきっちりファイルに整理してあるし、独、伊、英の三つの言語を操るし、知的で話がとても面白い人物だ。
「最近、音楽のイベントも始めたんだ。夜9時を過ぎた頃から、セラーでクラシック音楽の演奏を聴きながらワインを楽しむという企画でね。モーツァルトから借用して、アイネクライネナハトムジーク(ドイツ語で、「小さな夜の音楽」の意味)って名付けたよ。」
セラーで試飲しながら彼はいたずらっぽく笑う。彼が自分の育てる葡萄を眺める目は優しく、手は土や葡萄の色に染まっている。
カステル・ユヴァルはモダンなワイン作りの原理に従いながら葡萄畑をレイアウトし、コンスタントに良質の葡萄を収穫するため、1ヘクタールあたり8000本の葡萄密度を守る。葡萄畑への機械の持ち込みは最小限に抑えられ、葡萄の枝葉に触れるのは人の手だ。
ユヴァルの丘に特有の花崗岩は温まるのが早く、南西に面した急な斜面と絶えず循環するヴェノス渓谷からの風を条件に、日中の高温と夜間の低温という幅の広い温度差を生み出すユニークなミクロクリマ(微気象)が作り出される。
この自然環境と人間の力の共鳴の結果は葡萄の中に、そしてワインの中に現れている。リースリングの他にも素晴らしいミュラー・トゥルガウ、ピノ・ビアンコ等の葡萄品種が栽培されている。
マーティンはこの土地を借用してワイン造りをしていて、このワイナリーのオーナー、即ち所有者は大変著名な登山家、冒険家であるラインホルト・メスナーだ。南チロル出身の彼は哲学する登山家で、山肌に描かれる自分だけの山道に、自分の存在や人生を重ね合わせる、独特な思想を持つ。
日本では龍村仁監督の「ガイアシンフォニー」という映画にも出演しているが、この映画は地球をそれ自体で一つの生命体とみなす考え方に基づいたドキュメンタリーである。宇宙という大きな命の中の一部として自分を認識するような考えは、このような圧倒的な自然のランドスケープの中で育てば、当たり前のように受け入れられることなのかもしれない。