芸術家の作る有機ソーヴィニヨン
醸造の設備と技術に優れたカステル・ユヴェルは委託でもワインを作っている。その一つがマリエ・シェリーのソーヴィニヨン・ブランで、葡萄畑自体はメラーノの近くの海抜500メートルの南向きの傾斜にある。その畑のオーナーであるマリアとメラーノの街中で一緒にコーヒーを飲んだ。
マリアと会うのは去年の秋、彼女の葡萄畑を訪れて以来だ。彼女のワインは有機農法で年間生産数は3000本。1998年生まれの新しいワイナリーだが、それまでマリアはワインビジネスに携わっているわけではなかった。
カフェに現れたマリアは淡い色の品の良いベージュのコートにパステルカラーのスカーフ、大きめのサングラスをかけ、桃色の口紅が白い肌によく似合っている。上品な淑女の身支度という印象で、毎日畑に立って農作業をしているようにはとても見えない彼女だが、それもそのはず、マリアはもともと芸術家である。
幼い頃の思い出の風景を探して
「そもそも、どのようにしてワイン造りを始めることになったのですか?」という僕の質問に、彼女は落ち着いた口調で、言葉を探しながら答えてくれた。
彼女の家はもともとアルト・アディジェで農業を営んでいて、葡萄を含む大きな果樹園や農耕地を所有していた。マリアを含めた4人兄妹は男一人、女三人という構成で、長男が農園を受け継いだ。残った女の子三人は小さめの土地をそれぞれ相続したのだが、マリアは特に葡萄畑にこだわりを持っていた。
幼い頃の美しい葡萄畑の思い出。芸術家の彼女は、四季を通して、葉をつけて実を結び、緑から黄金色の輝きを放つ葡萄の色彩の美しさ、太陽と月から授かる生命力、すべての芸術の基本となるような自然の持つ神聖さを見て聞いて経験して、それをずっと心に残したまま大人になったのかもしれない。
「子供の頃の思い出が胸にあったの。それをもう一度蘇らせたくて。それが夢だったの。」
つまり、マリエ・シェリエのワインは彼女の夢の結晶だ。「どうしてソーヴィニヨンを選んだのですか?どんなタイプが好きなのですか?」という質問にもあっさりと答える。
「ソーヴィニヨンは私が好きな葡萄なのよ。とてもフレッシュだし、味わいが、良いわ。」
という彼女の感性は瑞々しく若く、柔らかに女性らしく、こんな説明でもそのまま納得できてしまう。そんなマリアの横には今年93歳になる、夫であるアンジェロがいて、終始にこやかに状況を見守っている。
趣味は旅行というマリアは、幼いころから英国、フランス、イタリアを旅し、母国語として育ったドイツ語の他にも様々なヨーロッパの言語に堪能で、外の世界に対して関心が向いている。イタリア語は若い頃にフィレンツェに留学した時に覚えたのと、夫のアンジェロからも習ったという。
「私には夢がある」
ワイン造りの経験は乏しいため、マリアは二人の助っ人、醸造と有機農法のエキスパートで脇を固めることになる。前述のカステル・ユヴァルのマーティンと、もう一人が南チロルにおける有機農法のパイオニア、クリスチャン・ピンジェラだ。クリスチャンの協力のもと、1998年にマリアの所有する葡萄畑はヨーロッパの有機農法の認定をうけた。
自分の好きな葡萄で幼い頃の思い出を再現し、自然を愛する心から有機農法を選び、有能な人材の協力を得てマリアはついに素晴らしいソーヴィニヨンからワインとグラッパを作ることに成功した。そのエチケットには、I have a dream「私には夢がある」というメッセージが書かれている。
ワイン造りの伝統の深いイタリアで、マリアのような「新参者」とも思われかねない芸術家が作るワインの地元での評価ははたしてどのようなものなのだろう。今回の滞在で宿泊したメラーノの山の上にあるカステル・フラグスブルグ(Castel Fragsburg)というホテルはミシュラン1つ星のメインダイニングを持つ。
レストランに入ってすぐ右手のガラスのセラーの中にワインが陳列されているのだが、カステル・ユヴァルの白ワインたちはもちろんのこと、マリアのワインもちゃんとそこにあった。ソムリエと話していても彼女の事を知っていて、「今日、マリアに会ってきました。」と言うと、彼はにっこりと笑った。