僕がエンリコ・クリッパに初めて出会ったのは2003年くらいだったと思う。リストランテ・マルケージにて、自分がソムリエ見習いのころ、彼がマルケージ氏に挨拶を兼ねて食事にやってきた。マッチョというよりも無駄のない武道家のような体格のせいか、彼を前にすると、精神から漂ってくるようなカリスマ性が感じられる。
エンリコは90年代、神戸で「ビストロ・マルケージ」のシェフを勤めたこともあり、日本の食材に精通していて、日本の食文化についても造詣が深かった。
当時、イタリアの田舎で孤立奮闘する僕としては、遠い故郷の一番、根本的な部分である食文化で自分と繋がっている彼に親近感を覚えた。
一方で、チェレットというワイナリーは僕がイタリアへ来る前から知っていた数少ないワイナリーの一つだった。
例えば日本でもよく見かけるブランジェというワイン。チェレットはアルネイスという土着品種の葡萄の魅力を引き出すことに成功している。
また、今でこそワインの生産地として国際的に有名なピエモンテだが、その過程でチェレットは、バローロとバルバレスコを国外に、ヨーロッパのみならず北米やアジアにまで広めたパイオニア的存在である。
僕の今まで働いた3つの重要なイタリアン・レストランでもチェレット家とは付き合いがあり、ワインリストにもいつもその名前があった。
チェレットは一般客のワイナリー訪問への対応がよりスムーズに運ぶように、ワインセラーの改築と増築工事を進め、2009年には広々とした試飲やイベントに使用されるエリアをオープンした。
ランゲの丘を見下ろすその風景の中で、一際目を引くのが建築と自然との融合をうたったThe Grape「ぶどう」という建築作品で、ビニールのような特殊素材EFTEを使ったドーム状の丸いカプセルは葡萄の粒を象徴している。
天気の良い日、中に入れば温室効果で熱中症になってしまうのではないかとの心配は無用で、足元からは常に冷風が吹いてきて心地よい。

(チェレットの試飲スペースから見える葡萄畑と左手にThe Grape)
「百聞は一見に如かず」とは、多くの場合に言えることだが、この言葉はピエモンテの地理を理解する時にもよく当てはまる。
ピエモンテは北と北西をアルプス、そしてリグーリア側の南をアペニン山脈で囲まれ、自然の州境ができている。
地図を見れば、この二つの山脈に挟まれているのが、東西に延びる広大なパダーナ平原と理解されるのだが、ピエモンテは地理学的に言うと、43%が山岳地帯、30パーセントが丘陵地で、この、残りの平野部分は東側に隣接するロンバルディア州にむかって広がっている。
つまり、ミラノから高速道路でピエモンテへ向かって走ると、最初は単調で見晴らしの良いパダーナ平原の風景で、一時間も行ったところで、だんだんと起伏がみえてくる。
そして、気がつくとすっかり丘陵地に囲まれていて、ついには行けども行けども葡萄畑の絶景が広がる。
アルト・アディジェのような壮大でドラマチックな地形とは異なり、ここの青さには、その瑞々しさからも、むしろ日本の田園風景を連想させるような優しさが漂う。
特徴的なのはなだらかな丘にぎっしりと整列する葡萄と、もう一つがヘーゼルナッツの木だ。
今、6月の時期、ヘーゼルナッツの木は葉が濃緑。葡萄と違って間隔を開けて一本ずつ生えているため、遠目からは緑色の玉模様がなんとも可愛らしい。

ヘーゼルナッツの畑

チェレットでの試飲。この土地の特産品であるヘーゼルナッツが添えられる。
チェレット家はピエモンテに、大まかにわけて4つのワイナリーを持っている。今回の旅では、そのうち、モスカートの畑があるサント・ステファノ・ベルボという村の近くのホテル、サン・マウリッツィオに宿泊することになっていた。
ホテル、San Maurizioサン・マウリッツィオへはアルバから東に車で30分程。起伏の激しい丘陵地を縫うように走る曲がりくねった道を走らせれば、初めての人なら見落としてしまうであろう小さな標識がかろうじてサン・マウリッツォの存在を知らせてくれる。
実際のところ、僕は標識も見落としてしまい、次の村まで行ったところで、わざわざ戻ってきたほどだった。覚悟はしていたが、とてもアクセスの悪いところにある。
しかし、イタリアではこのように、行き着くまで苦労するような場所にこそ、息を飲むような絶景が広がっていることが少なくない。
風光明媚を絵に描いたような眺望を楽しめる高い位置に、ホテルは建っている。もともとこの屋敷は17世紀の修道院で、それは祈りと労働の場所に相応しく、丘の上の陸の孤島に建てられた。
今ではその条件は転じて、喧騒から離れてゆったりとした休日を過ごすのに絶好のロケーションとなっている。
フランチェスコ派の修道士たちはこの地で葡萄の栽培をしていたと聞くが、清貧と禁欲を信条として過ごした彼らは、どのような思いでこの地に暮らしたのだろう。
19世紀になって、この場所は地元の貴族、ベッカリア伯爵の私有地となる。現在のオーナーの手に渡ったのは1997年と、比較的新しく、その後細やかで丁寧な修築工事を経て、今ではプールやスパを備えたリゾートホテルに生まれ変わっている。